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2010/02/03

コメント

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Chiyo

すごいことです。
エゴなんてものは、なかなか消えるものではありません。
でも、最近、私も同じような体験をしました。
自分を捨てることで、こんなに周りと一体になれてあたたかな気持ちがあふれてくるんだということに気がついたんです。
それはとてもとても幸せな気分でした。
今まで、こんなに幸せな気分になれたことってあったかしら?と感じました。
とても心地の良い、そしてとても大事にしたい体験でした。

ソフィーママ

お~素晴らしい!!chiyoさんもありましたか?
あの一体感は本当に最高の幸せを感じさせてくれますよね。
ただ、そうはいっても私も現実社会を生きる一人の人間ですので、ついつい批判的な気持ちも出てきてしまいます。
しかも そのときのなんとも言えない
不安と恐れに満ちた孤独感は あの幸せな感じと全く真逆の心境ですね。
少しずつでも幸せ感の方を選べるよう、精進していきたいと思います。

koji

幸せとはなんぞや?

今回の記事を読みながら思い出しました。
約20年ほど前(計算してビックリ!そんな前か!?)の学生時代。
うららかな春の日、芝生が奇麗な河原に寝転がっていた時、多分そのときが最初で最後(今の所)だと思いますが、「あっ、これが幸せってことか・・・」と感じたのです。

それ以降「幸せってなんだ?」を、考え語っていました。
ちなみにそのときに出た自分なりの答えは、「自分自身」でした…。
今もそれは私の根幹を成すひとつのワードになっています。

しかしそれは、あくまで「哲学」として、頭で考え、気づいたことでした。

そしてあれから20年経った今、はじめて「体験」として感じることができた様に思います。

その春の気温や空気感など、様々な要素が作用したんだと思いますが、寝転がっている大地は勿論、自分の体が大気にとけ込んだというか、今回の記事の言葉を借りるならば、まさに一体になったのかもしれません。

なんだか話が大げさになってきて恐縮です。
大げさついでにもう一言言わせて頂くなら、一瞬、地球の呼吸とシンクロできたのかも?
さすがに言い過ぎかな?
まあ、全てはフラクタルということでご勘弁を。

ソフィーママ

kojiさん 地球の呼吸とシンクロって
すごい素敵な表現ですね素晴らしい!!
私がよく西オーストラリアに行くのも
あの自然の中に呼ばれる感じがたまらないからかもしれません。
一度、お気に入りの風が通る場所に一人で行って感極まって涙が溢れたことがありました。
すごく懐かしい感じがして そのまま赤土の大地に座り込んで彼らをずっと感じていたかっです。
あのときはそれが一体感だとは分かりませんでしたが 大自然は何ともおおらかで優しくすごく守られている感じがしたのを覚えています。
本当にその場に座っているだけで幸せになれる
西オーストラリアへ いつかみんなで行きたいですね

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