ここ最近、また新しいカテゴリーの本達に
出会い、夢中になって読んでいます。
聖者本はプンジャジの教えなど、
このブログでも紹介しましたが
それからも勢いは止まらずさまざまな聖者本を読んで
不思議な世界観を楽しんでいます。
そして その聖者本にプラスして、
ここのところ私の元にやってきているカテゴリーが
シャーマニズムに関するものです。
まだ読み始めて日も浅く、シリーズになっている
ものはじっくり楽しみたいのでまだ紹介するまでには
至りませんが読みながら なるほど~と思ったことを
少しずつ書いていこうと思っています。
聖者ものも シャーマニズムものにも
ある共通する教えがあります。それは
「私達は宇宙全体の歯車の一部でしかないこと
そしてそれに徹して自分を消し去ることが究極の道への
第一歩である」というようなことです。
つまり自然を含め宇宙に存在するものは全部自分の
一部であり、また自分は宇宙の一部でもあるのだから
孤独に陥ることも 人と比べることも全くの無意味。
全てのものが一体になれば 対誰々、対なんとか
という対立が無くなってしまうのです。
このことを体感するような出来事が先日起こりました。
クロパパとソフィーは先週の新幹線架線切断事故の
騒動に巻き込まれ、東京駅で4時間もの間足止めとなりました。
このことが その前日から むさぼるように読んでいた本
『シャーマンズ・ボディ』のエクササイズを試す
いい機会となりました。
以前の私なら このような予測もつかない状況になった時
不安のためにじっとしていることが出来ず
この事態から抜け出そうと もがいてよけい深みに
はまるということを繰り返していました。
東京駅は 人でごった返し しかも皆、
いつ新幹線が動くのかと気が立っている状態でした。
イライラと携帯で電話しまくる人、
駅員さんに怒鳴り散らす人、電光掲示板の前を
何度も行き来する人、通常の私なら
新幹線が遅れている以上に
その人々の否定的な気に参ってしまうはずでした。
私はこのときエクササイズであったように
全体を感じてみました。私VS新幹線のトラブルではなく
新幹線のトラブルに巻き込まれた人の一部として
存在してみることにしたのです。
すると不思議な感覚が私を包み込みました。
不安や恐れがふと消えたのです。
そしてオドオドした一人の気弱な女性ではなく、
みんなと同じ、新幹線に乗り遅れた組という
全体の中の一部に参加することが出来たのです。
東京駅の階段に座り電車を待つ人の一人として、
本を読みながら「みんな足止めくらっちゃったね」
と、この状況を楽しんでさえもいました。
そして おなじ境遇を体験したものとしての
一体感まで感じてしまい、なんと
とても楽しく幸せだったのです。
初めての脱個体験でした。
そうです「私」が消えた瞬間でした。
エゴを消すと言う観念は本当に難しく
いくら頭で考えても出来ませんでした。
というか今まで意味が分かりませんでした。
本という手引きはあったにせよ
自らが体験するというのは こうも違うのかと
本当に心から宇宙に感謝せずにはいられませんでした。
「つながっている」ということは こんなにも
心安らかで幸せでユーモアにさえも溢れていました。
それでも また行きつ戻りつの精神修行です。
またどこかで頭をぶつけることもあるでしょう。
そのたびに この東京駅で起こった気づきを
思い起こしたいと思います。
ソフィーママ
すごいことです。
エゴなんてものは、なかなか消えるものではありません。
でも、最近、私も同じような体験をしました。
自分を捨てることで、こんなに周りと一体になれてあたたかな気持ちがあふれてくるんだということに気がついたんです。
それはとてもとても幸せな気分でした。
今まで、こんなに幸せな気分になれたことってあったかしら?と感じました。
とても心地の良い、そしてとても大事にしたい体験でした。
投稿情報: Chiyo | 2010/02/05 06:22
お~素晴らしい!!chiyoさんもありましたか?
あの一体感は本当に最高の幸せを感じさせてくれますよね。
ただ、そうはいっても私も現実社会を生きる一人の人間ですので、ついつい批判的な気持ちも出てきてしまいます。
しかも そのときのなんとも言えない
不安と恐れに満ちた孤独感は あの幸せな感じと全く真逆の心境ですね。
少しずつでも幸せ感の方を選べるよう、精進していきたいと思います。
投稿情報: ソフィーママ | 2010/02/05 08:03
幸せとはなんぞや?
今回の記事を読みながら思い出しました。
約20年ほど前(計算してビックリ!そんな前か!?)の学生時代。
うららかな春の日、芝生が奇麗な河原に寝転がっていた時、多分そのときが最初で最後(今の所)だと思いますが、「あっ、これが幸せってことか・・・」と感じたのです。
それ以降「幸せってなんだ?」を、考え語っていました。
ちなみにそのときに出た自分なりの答えは、「自分自身」でした…。
今もそれは私の根幹を成すひとつのワードになっています。
しかしそれは、あくまで「哲学」として、頭で考え、気づいたことでした。
そしてあれから20年経った今、はじめて「体験」として感じることができた様に思います。
その春の気温や空気感など、様々な要素が作用したんだと思いますが、寝転がっている大地は勿論、自分の体が大気にとけ込んだというか、今回の記事の言葉を借りるならば、まさに一体になったのかもしれません。
なんだか話が大げさになってきて恐縮です。
大げさついでにもう一言言わせて頂くなら、一瞬、地球の呼吸とシンクロできたのかも?
さすがに言い過ぎかな?
まあ、全てはフラクタルということでご勘弁を。
投稿情報: koji | 2010/02/06 09:39
kojiさん 地球の呼吸とシンクロって
すごい素敵な表現ですね素晴らしい!!
私がよく西オーストラリアに行くのも
あの自然の中に呼ばれる感じがたまらないからかもしれません。
一度、お気に入りの風が通る場所に一人で行って感極まって涙が溢れたことがありました。
すごく懐かしい感じがして そのまま赤土の大地に座り込んで彼らをずっと感じていたかっです。
あのときはそれが一体感だとは分かりませんでしたが 大自然は何ともおおらかで優しくすごく守られている感じがしたのを覚えています。
本当にその場に座っているだけで幸せになれる
西オーストラリアへ いつかみんなで行きたいですね
投稿情報: ソフィーママ | 2010/02/07 11:53